ベンゾジアゼピンと認知症
「睡眠薬を飲むと認知症になる、と週刊誌などで読んだことがあるのですが、本当ですか?」といったご質問をいただくことがあります。
現在、日本で用いられている睡眠薬は、メラトニン受容体作動薬、オレキシン受容体拮抗薬、ベンゾジアゼピン受容体作動薬が主流です。そのうち、古くから用いられているベンゾジアゼピン受容体作動薬については、2014年頃に認知症の発症リスクを高める可能性があると報告され、日本でも複数のメディアで取り上げられました。ことの発端は、2014年9月にフランス・カナダのグループが報告した以下の論文からでした。
Benzodiazepine use and risk of Alzheimer's disease: case-control study.
BMJ. 2014 Sep 9
BMJは、”British Medical Journal”の略です。BMJが有名な医学誌であることも、この調査データが注目を浴びた一因かと思います。論文の要点は以下の3点です。
・カナダのケベック州の住民 8980名(アルツハイマー病 1796名、対照群 7184名)を対象とした症例対照研究。比較する対照群は、年齢、性別、観察期間などがマッチングされた住民。
・ベンゾジアゼピン受容体作動薬を3か月以上使用した場合に、アルツハイマー病の発症リスクが約1.5倍になる。
・半減期が長い薬剤(1.7倍)は、短い薬剤(1.43倍)よりも、発症リスクが高い。
ところが翌年の2015年6月、スイスのグループがDrug Safety誌に発表した結果は、フランス・カナダのグループの主張とは異なるものでした。
Drug Saf. 2015 Oct;38(10):909-19
論文の要点は以下の2点です。
・CPRD(イギリスの外来データベース)に登録された約53000名(アルツハイマー病と血管性認知症26459名、対照群も同数)。性別・年齢・観察期間などをマッチングさせた認知症ではない同数の登録者を比較対照群とした。
・ベンゾジアゼピン服用と、認知症発症リスク増加との間に、相関はみられなかった。
さらに翌年の2016年2月にワシントン大学が報告した研究報告も、認知症の発症リスク増加に対して否定的な見解を示しています。奇しくも、2014年にフランス・カナダのグループが認知症の発症リスク増加を報告したのと同じ、BMJの医学論文です。
BMJ. 2016 Feb 2;352
ポイントは以下の3点です。
・シアトル在住の認知症ではない65歳以上の高齢者3434名に対する追跡調査。
・観察期間は平均7.3年にわたり、797名(全体の約23%)が認知症を発症。うち、637名がアルツハイマー型認知症であった。
・ベンゾジアゼピン累積使用量が多いグループと、ベンゾジアゼピンを服用していないグループとの間で、認知症発症リスクに差はみられなかった。
ちなみに、この論文については以下のサイトでも紹介されています。
不眠を放置すれば認知症は増える
認知症を恐れるのであれば、不眠症を放置することは得策ではありません。不眠などによる睡眠不足が認知症リスクを増大させることは、最新の研究で示唆されています。2021年4月に一流誌にて報告されています。
Association of sleep duration in middle and old age with incidence of dementia.
Nat Commun. 2021 Apr 20;12(1):2289
論文の要点は以下の通りです。
・Whitehall II studyのデータ(イギリス人7959名からなるデータ)を用いた25年の追跡調査のうち、認知症と診断された521名のデータを分析することにより、睡眠時間と認知症発症リスクの関連を調べた。
・50才、60才における睡眠時間が6時間以下の群は、7時間の群に比べ、70才時の認知症リスクが3割増加することを示した。この結果は、中年期の睡眠不足が認知症のリスク増加につながりうることを示唆している。
私の見解
2014年のフランス・カナダのグループが発表したベンゾジアゼピンによる認知症発症リスク増加に対し、2015年のスイス(バーゼル大学)のグループ・2016年の米国(ワシントン大学)のグループからは、いずれも否定的な見解が示されています。このように、相反する研究結果が混在することは、医学研究では珍しくありません。2014年の報告のみから判断し、「不眠症だけど睡眠薬は怖いので治療は受けない」という選択をした場合、認知症リスクが高まる危険もあります。ベンゾジアゼピン受容体作動薬以外にも不眠を改善するお薬はありますので、薬物療法に精通した医師にご相談いただくことをお勧めします。
もちろん、認知症リスクが増えなかったとしても、ベンゾジアゼピン受容体作動薬にネガティブな側面があることは忘れてはいけません。筋弛緩作用が高齢者の転倒リスクを高めたり、せん妄状態を引き起こすことがあります。ベンゾジアゼピンによるせん妄状態であれば、適切なペースで減量・中止することにより消失しますが、慎重かつ適切な使用が求められることに疑いの余地はありません。医師の指示のもと、必要最小限の使用を心がけましょう。抗不安薬ならばアザピロン系、睡眠薬ならばメラトニン系やオレキシン系など他の系統の薬剤をうまく用いることで、ベンゾジアゼピンの減薬がよりスムーズになります。